アレルギーっ子の晩御飯と日々の記録

フリーランスの編集ライター。食物アレルギーっ子関連のTwitterあり。8歳乳、くるみ等ナッツ類、そば、落花生アレルギーでエピペン持ち、アナフィラ複数回経験の息子について、仕事についてつらつらと。息子は生後6カ月でアレルギー発覚。血液検査で乳・小麦・鶏卵・ゴマ・大豆のアレルギーと診断。4歳2カ月で経口免疫療法開始。5歳3カ月で鶏卵解除。小麦の経口免疫療法は開始1年8カ月経過の確認試験3回目で○、卒業試験も3回目(2年7カ月経過)でめでたく合格。

小麦、経口免疫療法卒業試験3回目を控えて3年半をざっくり振り返り

f:id:mayuneco_22:20201001201906j:plain

10月1日の晩御飯はシチュー。もちろんハウスさんの「特定原材料7品目不使用 シチューミクス」です。


 息子の経口免疫療法は、4歳になる直前、友人の子どもが先に通っていた大学病院に行ったところからスタート。そう、ちょうど4年前のこの時期でした。

息子が0歳から通った保育園は2歳クラスまでしかなく、満3歳の春、保育園を転園。半年がたち、保育園の看護師さんに強く勧められたところで、友人にたまたま何かのきっかけで話したのだと思います。


3歳まで、完全除去派小児科に通っていた


それまで住んでいたエリアのかかりつけ小児科医は、「完全除去」推奨であり、経口免疫療法は子どもにとってかわいそうだという人でした。

その影響は大きく、完全除去以外の選択肢を考えていませんでした。0~2歳までの間に、少しの摂取で体中が腫れてしまうという事故を経験していたこともあり怖かったのもあります。

ところが、転園後の保育園では、もちろん除去はしっかりするけれど、「いつかは、食べられるようにしてあげたい」という方針。
特に看護師さんがとても熱心な方で、都やアレルギー学会が開く勉強会、講演会に熱心に出席し、最新の情報を保護者に共有してくれました。

その知見から「ママ、飛行機に乗ってわざわざ、東京で経口免疫療法をする人もいるのよ。こんな便利なエリアに住んでいて、やらないなんて、もったいないよ」と言ってくれたのです。そう、やりなさい、ではなく、「もったないよ!やっとこう!」と。

強制ではなかったからこそ、素直に「やろう」と、重い腰を上げられたのだと思います。

 

5歳3カ月、開始から約1年で、鶏卵克服

f:id:mayuneco_22:20201004190049j:plain

10月4日の晩御飯。鳥の竜田揚げはほぼ鶏のから揚げ扱い

病院に通い始めてすぐに言われたのが「なぜもっと早く来なかったのか」でした。それはもうショックだったし、最初は先生が怖くてしどろもどろになっていました。

今思うと先生はとにかく、子どものこと第一の方なので、もっと早く来てればよくなる可能性もあったのにという憤りもあったのかなと思います。

あと私がちゃんと記録していなかった(記憶だよりであいまいだった)からというのもあり。

ただ、血液検査の結果が出ると、「お子さんは、何もしないと100%よくならないですね」という謎のお墨付きをもらうくらい、重度ではあったので、まあ、早く来たからと良くなるわけではなかったことも分かったのですが…。

そんなこんなで、ミルクはクラス6以上、小麦は5以上でぎりぎり6になってないだけ、卵白は5以上となかなか笑えない状態でしたが、この3つの中では最も低かった鶏卵から経口免疫療法をスタート。詳しくはまたどこかでと思いますが、32分の1から初めて、約1年で、見事クリアできました。

でも、鶏卵は序章でしかなかったことを、小麦をスタートしてすぐに知りました。

 

小麦は、いばらの道だった

f:id:mayuneco_22:20201005201942j:plain

10月6日の晩御飯はタコライス。おかず多すぎと言われて減らした代わりに柿( ´艸`)

小麦を始めるにあたり、入院して閾値を調べる負荷試験を行いました。息子5歳にして初めての(いや、一度入院はありますがその時は3歳で、アナフィラキシーショックを起こしていましたので本人が一人で泊まった記憶が少ない)一人での入院。初めに説明をした段階で、「いやだ!!!」と泣き出す始末。私もこの時は泣いてしまいました(その後は私が泣いたら息子が泣けなくなるのでアレルギーに関しては泣かないようにしています)。そうして入院を経て、5歳の春、3月から0.01g(!耳かき1杯より少ないくらい…)からスタート。4月には0.02gに増量となりましたが、この時点でアナフィラキシーが何回か。喘息を発症してしまいついに吸入生活へ。

苦しそうにもがく姿を何度か見ました。苦しいのレベルがわからなくて不安で、パルスオキシメーターを買ったのもこのころで、3万円も全く惜しくなかった。

でも当時、保育園に通っていて本当に良かった。すでに年長でしたが、看護師さんがすごく、注意して見続けてくれました。昼寝の時、運動の後など、少しでも変化が見られたら(変化がなくても気圧などで)聴診器で肺の音をチェック。あれがあったから私は、安心して仕事をすることができたといっても過言ではありません。正直、小学校ではこのようなケアは一切ない。自己責任のみ。続けられなかったと思います。

この間、仕事を減らすなど、免疫療法を中心にした生活に入った私は、ストレスもたまり本当に、ひどい顔をしていたと思います。出口がない感覚。それは、長く続きました。

 

確認試験は2回目まで全く受かる感じがなかった

それでも息子は本当に偉かった。増量→維持期を経て、除去をしたうえでの初めての確認試験は当然のように苦しくなったし、その3カ月後の2回目の確認試験も、真っ赤になってしまったし、少し息苦しさもありました。3回目、クリアしたときはひたすらうれしかった。何がって、「何食べてもいいよ」と言われたこと。うどんで100gって、結構きついんですよね。まあ、確認試験前は25gを1日2回とかでしたが、とにかく、うどんが嫌いになるんじゃないかと思うくらい、バリエーションもつけられない。焼いてみてもおいしくないというし、たれにつけて食べるだけ。

ところが確認試験をクリアすると、うどん100gと同じだけの小麦製品が食べられる!ということでこの日から息子は、毎日、毎日、毎日、毎日、飽きずにフランスパンを食べ続けました。

来る日も来る日も。でも「おいしい」といって小麦製品を食べる姿に、そっと涙することもありましたね、実際。

 

というわけで、1週間前にいろいろ思うところあったわけですが、10月7日の卒業試験の話は次回に譲ります。